時代が音をたてて崩れていく

時代が一気に変わろうとしている。

染み付いた古い時代の思考を書き換えて、マインドセットそのものを変えていかないと生きていくのが辛くなるだろう。

周りを見渡しても時代の変化に気が付いていない人が多いように思う。今は、新しい時代を意識し行動を変えている人の方が息苦しく感じるかもしれないが、時代は確実に変わっている。
いま違和感を感じずにいる人が時代の変化を気付いたときにはすでにゲームのルールが変わり最悪ゲームオーバーになっているだろう。

インターネットの登場により誰でも簡単に情報発信できるようになった。

その結果、個人の影響力を持つようになった。

このブログにはまだ影響力はないが、全世界の人に対して情報を発信していることに間違いはない。

インターネットによる情報発信といえば、古くは掲示板というものがあったが、当時は、インターネット自体に信頼感が乏しかったため小さなコミュニティーに過ぎなかった。

今では、たった一人の発言がSNSにより拡散し、大きなうねりとなって強い影響力をもつようになった。

最近話題になっている日大アメフト部の悪質な違反プレーも、今の時代が作ったニュースなのかもしれない。

インターネットがなければ、世論を巻き込むことはなく、当事者同士の問題としてごく狭い範囲で、弱者の泣き寝入りという形で片付けられていただろう。

今は、閉鎖的なコミュニティーの中で、情報を操り、権威を振りかざしている人もそれが間違った方向性に進んでいるのであれば、何かのきっかけに大きな代償を払うだろう。

今も昔もインターネットが玉石混交なのは変わらないが、メディアとしての地位を確立した今、恐ろしいほどに強力な影響力を持つようになった。

この力を悪用することもできるが、この力を個人の能力を開放するために使いたいと思う。

思考の言語化して、失敗を繰り返すことで何かが見えてくるはずだ。

これまでの人生は、何か事を成したいと思いつつ、できない理由を自ら探して結果を正当化していたように思う。

私にとって、できない最大の理由は「学歴」だ。

どこかで「学歴」が引っかかってしまう。

もちろん「学歴」ないよりもあったほうが良い。遊びたい盛の学生時代に努力を惜しまず、結果として「学歴」を得た人たちが一定の評価を得られるのは当然だ。

ただし、「幸せ」、「成功」、「能力」との相関関係はあっても因果関係はない。

人生は長い、いつでもやり直しができると人は言う。自分が欲しいものに対する「覚悟」だけが唯一の因果関係を持っている。

生みの苦しみを経験しながらも、この息苦しい学歴社会から抜け出すために個人の影響力を蓄えたいと思う。